受動と能動

なんか自分の思うようにいかない、すべてが後手後手、自分のしたことや言動にいちいち文句を言われる、いやな態度を取られる、そのうちどんどん自分から何かをすることが怖くなってくる… こんな風に負のループに入り込んでしまう時ってありませんか?

ちょっとした友達、上司、彼氏、彼女、親、ひいては部下など、自分と関係がちょっと濃いめの人達からの評価とか否定、、本人たちは全然そんな気無いかもしれない、けど自分にとってはそう感じてビクッとしてしまうってこと、私はたまにあります💦

で、一度そういう流れに入るとそれがどんどん続くようになって、あああ、マズい・・と焦る日々。そんな時一度考えてみるといいのは、受け身になっちゃってないか?ということです。相手や環境、諸々に対して受動的な立場に甘んじすぎてしまうと、そういう雰囲気がどんどん増して、気づくと自分の能動的な部分は殆ど隠れてしまって、受動的な人としてふるまってしまっている。。いや、振舞っているわけではないが結果そういう感じになってしまっている・・・私はそんな時がたまにあります。

 

でも、本来人って能動的なんだと思うのです。例えば生活するすべてのこと、朝起きて顔を洗うのも、歯を磨くのも、コーヒーを飲むのも、自分からやっているし、そこになんの反対する力とか意思とかが入り込んでこないものに対してはすんなりと能動的に物事を行って完了できる、つまり物質に対しては、それが重いとか硬いとかそういう対抗力はあれど、それをどうにかしてクリアすれば物事を完結出来る。でも対人だとなかなかクリアしづらい。。。

 

最初は相手からの対抗に対してちょっと対処してみたり、言い返してみたり、、でも相手の対抗力が手を変え品を変え延々と続いたり、力で抑え込んできたりするとそのうち抵抗することがつらくなって徐々に相手の対抗力を受け入れてこちらから抵抗するのをやめてしまう・・疲れるし、傷つくし、辛いし・・・

そんな時は、その相手や環境に対して受動的になってしまっている、という事実をまずはじっくりと直視して、ちょっとだけ能動的になれる部分を探してみます。

 

例えば、周囲の空気は気になるけど、勇気を出して定時で帰るとか、おはようございますと挨拶だけはしっかり声を出してみる、とか・・

 

でも、肝心なことはどのくらいの割合が自分にとって対抗的なのか、ということです。環境自体はぜんぜんそんなことなくて、特定の相手だけというなら勇気を出す価値もあるけど、環境自体がほぼ自分にとって対抗的なら、、どうかな。。勇気を振り絞って能動的になってその環境に居続ける価値があるのかな🤔と考えてみるのもいいかもしれません。そこまで自分が受動的になってしまうのは単に自分とは合わない環境だってことかもしれないし、じゃあそのまま面倒だから”能動的に”受動でいることを選択する、もよし、その環境とおさらばするもよし・・

 

どんな結論でもいいんですが、能動的に自分で選択する、ということが自分をちょっと楽にするキッカケになることが多いです。

 

世の中人間が2人いれば対立が起こる、でも愛情も生まれる、、、人は目には見えなくても支えあっている。だから私も誰かに支えられているし、目に見えない誰かを支えている、たとえ実感なくても。。そう思って自分の存在をまずは自分がしっかりと認めるように心がけています😅